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… nikki …
せんせいが、「ひとりで生きていけるだけの強さを持っているなら、家族や恋人、友人なんてものはいらないんだよ」とおっしゃった。要するに前記はすべてよりどころであり、社会に生きるために必要不可欠なものではないということなんだろう。比べて上司とか部下、知り合いや取り引き先、顧客は生きるために必要だということ。“強さ”というのは精神的なそれももちろん含めて、たぶん、地位とか名誉とかそういう個人的な強みのこともさしている。「アンタもいい年なんだからそろそろ結婚しなさい」とか「キミ、そんなに付き合いが悪かったら社会人なんて勤まらんよ」とか、そういうことを目上の誰かから言われて、従わずともニヤニヤ笑ってやり過ごさなくてもいいだけの強みだ。
この解釈が、せんせいの言わんとすることからハズれていないという保証は、ない。なぜならわたしが彼本人に「こういうことですよね?」と確かめなかったから。だって確かめる必要はなかったから。問題はその言葉を受けてわたしがどう考えるか、だ。そんなわけで保証は何ひとつないのだけれど、せんせいは十人十色、『みんな違ってみんないい』の精神を持ったかただ。わたしのこの解釈もきっと許してくださるだろうという確信だけはある。だからわたしはこんなことを勝手に書いている。問題文や理論と違って、ことばは本来、あらゆる意味でとても自由なもののはずだから。
ということで、ひとりでいることは、社会的・精神的な強さを持った人間のみに許された事柄、らしい。せんせいによると。余談だが、そんなせんせいには奥さんがいらっしゃって、聞いたところとても仲が良いらしいから、たぶんせんせいは“弱い”のだ。わたしだって“弱い”。もしかするとあなたも。わたしはせんせいのことばを聞いたとき、「なるほどそうかも知れない」と思った。でも、“強い”と“ひとりでいる”には相当な数の関係性が存在していて、場合によっては納得いかないこともあるよなーとも思った。たとえば、
1)強い⇒ひとりでいる
2)強い⊃ひとりでいる
などがそうだけれども、(1)はたぶん間違っているし、(2)ならわたしは納得する。つまり、“ひとりでいる”のはたくさんある選択肢のうちのひとつでしかないということだ。弱いひとがひとりでいられなくても、強いひとがみんなといたって別にかまわないのだ。…あれ? でもそうしたら、奥さんがいるからってせんせいが“弱い”とは限らないことになる。
整理してみよう。
一)弱いひとはよりどころを持たなくてはならない
二)強ければ、よりどころは不必要だ
三)けれど、強いからってよりどころを持たない(持ちたくない)とは限らない
ええと? それで? だから? 強ければ強いほど選択肢は増えるということ(で、それがさらなる強みになっていく)ということだろうか? あーあ、なんだかひどく味気ない出口にたどりついてしまった。飽和と飢餓は交わらない。格差社会。なんだかごめんなさい。
(20091025)
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