八日目

「世界は小さいよ。小さくていんだよ。ぼくときみ。それだけの世界でも、いいんだよ」

もうすぐ、夏がおわる。ぼくたちの世界は歪な周期で、けれどもたしかに、まわり続ける。そういう幻想を、平らげようとしていた。





しずかな嵐

「忘れたいと思うことほど忘れられない。憶えていたいと思うことほど、あっさりと忘れていく」
そうなんですか、そうなんですよね、そういえばそうですね。さっきから南野さんの言葉はどれも”後悔”という言葉に帰結する。後悔していると一口で言えない。花のような笑顔の下で、この人は悲しみに暮れている。しかし彼女以外に彼女の悲しみを理解できる者がいないので、当然僕にはその理由が分からない。理由が分からなくてもスプーン一杯程度の慰みくらになる月並みな言葉をかけてやることができるかもしれないが、あいにく僕はそんなに器用なほうではないし、嘘をつくのは下手なほうだった。僕は躾けの行き届いた犬のように、余計に吠えずに口を結んでおくのが最善だと思っている。返事くらいはするけど。
「ここは寒いですねえ」
初夏。青々と茂る木の下で、片付けていたら懐かしいものが出てきたと言っていた日傘を気にしながら南野さんはそう言った。たまに不快なぬるい風が吹きぬける、誰も外に出ないくらい暑い午後に。僕はこうして南野さんとバス停のベンチに座っている。どういうわけでここに座ることになったのかはよく覚えていない。こうすべきだったのかも分からない。ただ僕は彼女の言葉に相槌を打っていた。
「寒いんですか」
「寒いですねえ」
「そこは」
「ええ」
「そんなに」
「ええ」
僕の隣で穏やかに相槌を打つ彼女の中にはきっと嵐があって、それは僕の想像もつかないような方法で彼女を傷つけているんだろう。だけど彼女は自ら嵐を招き入れたのだと思うのだ。嵐は何もかもを、かきまぜて、ぐちゃぐちゃにして、目も当てられないほど無残な形にして、何事もなかったかのように去っていく。どのくらい居座るのか分からないけど、彼女は裸足で外へ出るだろう。サンダルが重そうに見えるくらい華奢なその両足で、嵐の中に立っていられるとは思えない。だけどたとえくずおれても、そこに居続けるだろう。傷つくことよりも、傷つかないことを恐れるだろう。よろこんで血を流すだろう。痛みに笑むだろう。忘却の恐怖のほうが、彼女にとっては耐えられないものなんだろう。だけど青々とした蒼穹の下。無残な爪痕の広がる世界に、どうしたってあなたは一人だ。
「あたたかいところへ行きましょうか?」
「あたたかいところ?」
「ええ、そうです」

この先を真っ直ぐ行って、二つめの角を曲がれば、そこには僕の家がある。






とわずがたり

君が正しいと思うものに洗われるくらいならば;
ぼくは汚れてしまいたい黙って棺桶で丸まりたいぼくは発狂してしまいたいぼくはきみを殺してしまいたいぼくは誰かを殺してしまいたいぼくはセックスが上手くなりたいぼくは見えなくなりたいぼくは聴こえなくなりたいぼくは嗅げなくなりたいぼくは喋れなくなりたいぼくは食べられなくなりたいぼくは感じなくなりたいぼくは嘘をつかなかったら口が裂けるというシステムを組み込みたいぼくは一日一回人の痛みを刻み込む習慣を身に付けたいぼくはカラスになりたいぼくは防波堤になりたいぼくは暗礁になりたいぼくは、ぼくは、ぼくは、、、、
きみは何がしたい。