第 5 章  

 サーベル山脈 復讐の盗賊 
  
    
  
  
  
  
 「ヴァイス」 
 とはモンスターの種族名ではなく、人間のなれの果てのような者達の総称である。 
  
 罪を犯し、あるいは濡れ衣を着せられ、お尋ね者となってしまった者。 
 愛するものを病気や事故で亡くし、帰る場所を無くした者。 
 全ての絶望を受け入れるかのように、誰にでも等しく、悪への道は拓かれている。 
 その甘い誘惑に負け、人間としての道を踏み外した者達―――― 
  
 彼らは次第に人目を避け、モンスター同然の生活をするようになる。 
 悪に心を染め、欲望の赴くままに生活をするうちに、いつしか本物のモンスターとなる。 
 それがヴァイス――その名の通り「悪意ある者」。 
  
 奇妙な連帯感、仲間意識を持つ彼らは、互いに寄り添い、慰め合い、共に悪事を働く。 
 そんなヴァイスの数が、世界的に増加しつつあるらしい。 
  
 「…っていうのは、よくわかった。でもね」 
 @の声が、静かな洞窟の中に響く。 
 「どうやって脱出するのさ?」 
 「うるせぇっ!オレも今、必死で考えてんだよ!」 
 張り上げたオニオンの声は、洞窟の中をわんわんとこだまして、看守の耳に届いた。 
  
 「キィーーーッ!キュィィィーッ!」 
 ひとりのヴァイスが、こちらに警告するように金切り声を上げる。 
 耳障りな残響音が洞窟を満たした。 
 「…なんで、こんなことになっちゃったんだろう…」 
  
 話は、半日ほど遡る。 
 「賢顔」と称されるコジャ仙人なら、何か知恵を貸してくれるかもしれない。 
 あるいは帝国の暴挙の数々に憤怒し、すでに事を起こしているかもしれない。 
 淡い期待を抱いて、二人は仙人の住まうサーベル山脈に向かった。 
  
 サーベル山脈――とは正式な名前ではない。 
 しかしいつからか、その刃のような天険から、誰かがそう呼ぶようになった。 
 夏にはじりじりと照りつける太陽によって、谷間は灼熱地獄と化す。 
 冬には冷たい風が吹きつけ、突き刺すような寒さが旅人たちを襲う。 
 「春と秋とに通りゃんせ」と、地元の民謡に歌われるほどである。 
  
 今は初冬。厳しい寒さの中、二人は小さい身体を限界まで丸めて歩いていく。 
 雪まじりの烈風が容赦なく体力を奪ってゆく。 
 「飛ばされるなよ」 
 オニオンは、相棒に短く囁いた。しかし、返事が無い。 
 振り向くオニオン。 
 そこには、ヴァイスの大群。捕らえられた@。 
  
 オニオンの身体を突き抜ける、死の予感。子供一人。勝ち目は無い。 
 いつの間にか囲まれている――後頭部に、衝撃が走る―― 

 ――目覚めると、洞窟の中だった。 
 牢屋らしい。二人の看守と粗末な木製の格子が、辛うじてそれを教えている。 
 だいぶ深い洞窟のようだ。外は昼なのか、夜なのか。いずれにせよ寒い。 
 毛布も食事も与えられず、約半日が過ぎ――今に至る。 
  
 身包みを剥がされている。食糧や水が入ったリュックサック、革のチョッキ、 
 少しばかりの路銀、それに大事なオニオンソードまでも。悔しさがこみ上げる。 
 しかし、同時に疑問が沸いた。 
 オレたちは、何故生かされているんだ? 
  
 その答えは、格子の向こうからやってきた。 
 ゆらゆらと揺れる松明の光。誰か来る。 
 看守のヴァイス二人が、敬礼のような姿勢を取る。 
  
 「まだ生きてるんだろうね?」 
 薄暗い洞窟に似合わぬ、明るい凛とした少女の声。 
 オニオンと@は、思わず目を凝らす。 
  
 漆黒の、少女だ。 
 目深に被った黒いフード、チェインを編みこんだ黒いセーター、厚手の黒い革パンツ。 
 油断なく携帯する抜き身のショートダガーの刀身も、やはり吸い込まれるような黒。 
 闇に溶けるような身体から、鮮やかなブロンドの髪と、白い肌だけが浮き立っている。 

  少女は、檻の中の二人に語りかける。冷ややかに、からかうような、でも優しい声で。 
 「物好きだね。何が楽しくて、こんな季節に山登りなんか」 
 好奇心をあらわに、少女はまじまじと、少年と芋虫を見つめる。 
 そんな少女をまっすぐに睨み返し、オニオンは言い放つ。 
 「出してくれ」 
 きょとんとした表情の少女。次第にその顔が緩んでいき、ついにくすっと吹き出した。 
  
 なおも噛み付かんばかりに睨み付けるオニオンとは対照的に、@は落ち着いた気持ちで、少女を見た。 
 年のころなら14、5か。身長は、オニオンより、ほんの少し高い。盗賊の首領なのだろうか? 
 それにしては、あまりにも―― 
  
 可愛いひとだ。 
 @は思った。 
 街で花売りでもしていそうな、愛らしい少女である。 
 乳白色の肌。ぱっちりとした蒼い瞳。小さくて可愛い鼻。 
 接吻を乞うように、ぷくっと突き出された色のよい唇。 
  
 「出してあげるよ」 
 「えっ」 
 あまりにあっけなく解放を約束され、拍子抜けする二人。 
 @は何も疑わず、歓喜の声を上げる。 
 「ホントに!?」 
 「うん。だけど、キミたちは、オトリだ」 

「…オトリ?」 
 「詳しい話は、そこを出てからだ。ここは寒くて寒くって」 
 ふるる、と少女は身をすくめて見せた。 
  
 洞窟の中のこじんまりとした一室に、二人は通された。 
 簡素な暖炉や、椅子と机、絨毯まで用意されている。客間、といったところだろうか。 
 少女は先に腰掛ける。そして二人にも、席を勧めた。 
 執事風のなりをしたヴァイスが、無言で紅茶を淹れてくれた。 
  
 「それで、さっきの話だけどね。あ、楽にしていいよ」 
 無理な話である。 
 「あ、まずは自己紹介か」 
 あたしはツァマキエル、と恥ずかしそうに言った。 
 「ジークフリート、って知ってるかな。大盗賊。あたしは、彼の娘なんだ」 
 「ジーク…フリート」 
 十数年前から、世界各地を荒らしまわっている大盗賊である。 
 まさか所帯を持っていたとは。そしてその娘に出会えるとは。 
  
 「ママは、ジドールの踊り子。綺麗なひと…だった」 
 ツァマキエルの表情が、見る見るうちに曇ってゆく。 
 「帝国のイヌが、パパを追って、ジドールに来たんだ。 
  もちろんパパは、帝国に捕まるようなノロマじゃない。 
  でもママが、私を逃がしている間に見つかって…捕まって… 
  …殺された。パパの行方も、わからない」 
 俯くツァマキエル。言葉が途切れる。 
 「…あたしは、ママの仇を討つ」 
 涙を押し殺し、顔を上げた少女の表情は、まさに盗賊のそれであった。 

 「このあたりを、最近帝国兵どもがうろついてる。 
  盗賊の一斉掃討作戦を展開するつもりらしい。 
  それを指揮するのが、ママを殺した帝国幹部――アウトサイダー。そこまでは調べてる」 
 そこで、斥候と、帝国兵をおびき出すための囮役を引き受けてくれ―― 
 それが二人に与えられた仕事だった。 
  
 「ふざけんなよ!そんなお人好しがいるかよっ!」 
 今まで沈黙を保っていたが、とうとういきり立つオニオン。 
 「確かにオレ達だって帝国は憎いけどな、誰がそんな危険な役目をッ」 
 「文句ある?」 
 「当たり前だ!俺たちにはそんな時間なんて…!」 
 言いかけて、止めた。 
 止めざるを得なかった。 
 オニオンの喉元に、少女の黒いショートダガーが当てられている。 
 「わかってないね。キミたちの立場は、圧倒的に低い」 
 少女の声が、低く響く。 
 ようやく@は、何が起こったのかを理解した。 
 オニオンの首筋を、冷たい汗がつたって落ちる。 
 「あたしたちの縄張りに知らずに踏み込んだ、自分たちの不運を恨みな」 

 外に出てみれば、もうずいぶんと暗い。 
 昼間より風は凪いではいるが、やはり凍てつくような寒さである。 
 「納得いかねぇ」 
 オニオンはぼやいてから、ぶしっ、とくしゃみをした。鼻水が垂れている。 
 「命だけでも助かったんだから、よかったと思わないと…ね?」 
 「…うるせぇっ」 
 こんな不機嫌なオニオンを、@は初めて見る。 
 こうして見ると、やはり歳相応の子供なんだなぁ。 
  
 ――それから四日間、大きな動きはなかった。 
 ちらほらと帝国兵の姿は見られたが、部隊が結集している様子はない。 
  
 それよりこの四日間、盗賊たちが食事をもてなしてくれたことに、二人は驚いた。 
 ヴァイスの中にも、意外な才を持つものもいるらしい。おかげで食事には困らなかった。 
 ちなみにおよそ三日に一度、ツァマキエルが好んで食事当番を担当する日があり、 
 その独特の味付けには二人も閉口したが――これは余談である。 
  
 そうしてさらに二日が過ぎた頃、事は起こった。 


 最近になって、斥候に数人のヴァイスが付き添ってくれるようになった。 
 おかげで見張りも交代制になり、少しではあるが二人の眠る時間も増えた。 
  
 アジトの近く、見晴らしの良い丘にある小さな岩屋が、見張り小屋として使われている。 
 長い夜が明けるころ、見張り小屋に二人のヴァイスが現れた。 
 「キィッ」 
 「おう、交代か。ご苦労さん」 
 貴重な休憩時間を少しでも長く味わうために、二人はすぐにアジトに戻った。 
 あてがわれた狭い小部屋に戻り、毛布に包まる。束の間の安息が、二人を優しく癒す。 
 そこへ。 
 「キュィィィィーーーーーッ!キィッ、キィッ、キキィッ!!」 
 血相を変えて、先ほどのヴァイス達が部屋に飛び込んでくる。 
 「どうした!」 
 すばやく目覚め、言うが早いか、上着を掴み部屋を飛び出すオニオン。 
 慌てて@も、追うように部屋を出る。 
  
 雪がちらついて視界が悪いが――見張り小屋のあたりまで、黒い影が押し寄せてきている。 
 「帝国兵か」 
 「すごい数だよっ」 
 「@、ツァマキエルに知らせろ!」 
 うん、とオニオンに短く答えて、@は駆け出した。 

 少女は、厨房にいた。 
 「うん、われながら、いい塩梅」 
 上機嫌に、鼻歌など並べながら、鍋をかき混ぜていた。 
 何の料理ともつかぬ不気味な匂いの立ち込める厨房に、小さな芋虫が転がり込んだ。 
  
 「あら、@。シチューならまだよ」 
 シチューだったのか。 
 「違うんだっ、敵が!帝国兵が!」 
 「帝国兵」 
 「うん、すごい数で、見張り小屋のあたりまでっ…!」 
 息切れした@は顔を上げ、ようやく彼女の表情の変化に気づいた。 
 深い憎悪と殺意を瞳に秘め、口元だけはゆっくりと笑みに歪む。 
 @は恐怖した。その表情から目が離せなかった。 
 次の瞬間、ひゅっ、と彼女は視界から消えた。 
 目を疑う@。 
  
 声は後ろ、厨房の入り口から聞こえた。 
 「火、消しといて。つまみ食いしちゃダメよ」 
  
 あわてて振り向く。 
 そこにはもう、彼女の影すら残っていなかった。 

 外では既に十数人のヴァイス達が、帝国兵と白兵戦を繰り広げていた。 
 殺人のみに特化した「ネックハンター」と呼ばれる種族を除いて、 
 ヴァイスは戦闘に長けているとはいえない。劣勢は明らかである。 
 オニオンもまた、戦線に参加していた。 
  
 オニオンの相手は緑の軍服の下級兵士。とはいえ、子供の力では限界がある。 
 真上から振り下ろされる兵士の長剣。なんとかオニオンソードで受け止めるが、重い。 
 その状態から横っ腹を蹴り飛ばされる。 
 「げほっ!…くそォッ」 
 起き上がり、すぐに剣を構える。しかし両手が痺れて上手く柄が握れない。 
 いやらしい余裕の笑みで、ゆっくりと兵士は近づいてくる。 
 (…勝てるか…?) 
 自作の調合した爆弾がポケットにある。そのことを考えていた。 
 殺傷力には乏しいが、隙を作るには十分のはず。 
 ポケットの中の爆弾を握り、少年は兵士を睨み付ける。 
 (今だ…!) 
  
 すると兵士の様子が、どこかおかしい――こちらに、倒れこんでくる。 
 近づき調べると、首の付け根の辺りに、黒く長い針のようなものが突き刺さっていた。 
 (死んでいる?) 
 周りを見渡すと、同じようにして次々と倒れていく帝国兵達。 
 最後の一人が倒れたとき、その背後には、黒い少女が佇んでいた。 


 ヴァイス達の間に、死人はなかった。数人の負傷者のみである。 
 ツァマキエルに駆け寄るオニオン。しかし上手い言葉が見つからない。 
 「…凄いな」 
 と、思わず口を衝いた。 
 「凄いでしょう」 
 光る汗をぬぐい、ふうっ、と息をついてから、彼女は大人気なく返した。 
 独力で技を磨いたのだろうか。それとも、誰か師が。 
 いずれにせよ、とても一朝一夕で身につく技術ではない。しかも、この若さで。 
  
 負傷したヴァイス達が運び込まれる。帝国兵達の骸が、集めて埋められてゆく。 
 @はそんな様を、ぼうっと眺めていた。 
 敵とはいえ、多くの人が死んだ。 
 それをどう受け止めてよいか、分からずにいた。 
  
 「奴は、いなかった」 
 戦場の処理があらかた終わったのを見届け、ツァマキエルは誰ともなく呟く。 
 (しかし、いつか…必ず) 
 「どうした?大丈夫か?」 
 オニオンが近くまで来ていた。 
 「あ、うん、なんでもない。さぁ、戻ろう」 
 気づけばヴァイス達もほとんど撤収している。 
 二人がアジトの入り口まで戻ると、そこに@がぽつんと座っていた。 

 「どうした、元気ないじゃないか」 
 @の背中を勢い良く叩くオニオン。 
 うなだれていた@は、驚いて顔を上げる。 
 そして、目を細める。 
 「…なんだろう、あれ」 
  
 はるか遠く、辛うじて確認できる距離に、ひとつの黒い人影。 
 振り向くオニオンとツァマキエル。 
 「なんだ、帝国兵か?」 
 「違う」 
 ツァマキエルが厳しく言い放った。その表情は蒼白。 
 人影は、両手を下げ、ゆっくりとしゃがみ込む。 
 「奴だ」 
 「えっ」 
 躊躇わず、たんっ、と彼女は地を蹴った。 
 みると人影は、既にそこには居ない。 
 直後、近くで金属のぶつかる音。 
 同時に殺気が辺りを満たす。肌でびりびりと感じるほどに。 
  
 「貴様を待っていた…ッ!」 
 刃を合わせながら、ツァマキエルが吐き捨てる。 
 その相手もまた、黒ずくめであった。 
 ツァマキエルを灰色に見せてしまうほど、黒よりも深い黒。闇を身に纏ったような男。 

 男は黒い手袋を嵌めた手で、なんと彼女のショートダガーの刃を掴んでいる。 
 さらに無言で、その刃を軽くへし折る。 
 「…!」 
 ツァマキエルは折れたショートダガーから手を離し、すばやく距離をとった。 
 腰に忍ばせた毒針に手をかける。しかし。 
  
 その一瞬で男は、彼女の背後にまで回り込んでいた。 
 後ろから彼女の両腕を掴み、一瞬で極める。 
 「ぐ…っ」 
 ぎっ、と鈍い音がした。両腕とも折られた。 
 苦し紛れに放った足刀は、虚しく空を切る。 
 嫌な汗が吹き出る。荒い息で喉が渇く。 
 (どこにいる…?) 
 男の姿が見えない。全神経を集中して探す。 
 しかし姿は見えない。姿を消す…魔法なのか? 
 「…出て来いッ!」 
 恐怖と痛みのあまり、冷静さを失い、叫ぶ。 
 返事の代わりに、小さなナイフが、少女の胸を貫いた。 
  
 倒れこむツァマキエル。その傍で、すぅっ、と足元から姿を現す男。 
 あまりに一瞬の出来事。少年と芋虫は、状況を把握しきれない。 
 そんな二人に、ゆっくりと男は近づいてくる。 

 二人の全身を襲う恐怖。まったく身動きが取れない。 
 「仲間か」 
 呪詛のような低い声。耳がじわじわと侵されてゆくような、嫌な響き。 
 オニオンは、大声を上げて逃げ出したかった。 
 それすらもあたわぬほどの、強烈な殺気。 
  
 男は、やがて二人に興味を失ったかのように、踵を返した。 
 ツァマキエルの元に歩み寄り、倒れた彼女を見下す。 
 「お前にも飽きた。次は殺す」 
 そう呟いて、そのままゆっくり粉雪の中に消えていく。 
  
 「よくも…よくもツァマキエルを」 
 @の身体が、震えだす。 
 「おい、@…落ち着け…馬鹿な真似は、止せ…」 
 すぐ傍にいるオニオンの制止も、@には聞こえていないようだ。 
 怒りと、憎しみとに激しく揺さぶられる@の身体。 
 その身体から、緑色の淡い燐光が放たれている。 
 「@…?お前…いったい」 
 「うぁぁぁぁぁぁあああああああああああああぁぁっっっっ!!!」 
 悲鳴のような叫びと共に、@は駆け出した。 
 黒ずくめの男目掛けて、一直線に疾走する。 
 転がるように。前へ前へ。なおも速度は上がり続ける。 
 次第に、@を包む緑色の光は輝きを増し――― 
 ―――気付き振り返る闇の男までも、その光に飲み込まれ――― 
 ―――オニオンは、あまりの眩しさに目を閉じる――― 
 その瞬間。 
  
  
 大地が、震えた。 
  
  
  



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