第 2 章 

 煉獄 焼き尽くされた日常 




 用意したバケツの中に、@は嘔吐した。 
 体内で練成された大量の粘液が、みるみるうちにバケツを満たしてゆく。 
 口の中から、最後の一滴を絞り尽くしたとき、@の体重は、かつての半分ほどになっていた。 

 通常、過渡期を迎える子供達は、事前に親や農場に連絡を入れ、 
 しかるべき手続きを経た後に、このプール作りを実行する。 
 また粘液を吐き尽くした身体では、極度の披露により自分の力で動けなくなるため、 
 数人の付き添いの手を借り、仮死状態にしてもらうのが通常である。 
 つまり@のやろうとしていることは、通常の常識を超えた… 

苦行、といえる。

 しかし@は、これを喜んで受け容れた。 
 キャリーへの償い、そして新しい自分に生まれ変わるための試練、こう捉えた。 

 それに、方法はこれしかなかったのだ。 
 @は、皆を驚かせ、見返してやりたかった。 
 その執念が@に、このほとんど自殺行為にも近い方法を選ばせた。 


 意識が朦朧とする。しかし、ここで辞めることは許されない。 
 自分の身体を、無理やりバケツに放り込む。 
 身体中にまとわりつく粘液。 
 徐々に沈んでゆく意識。 

 浮かぶのは、キャリーの笑顔。 
 この試練を生き抜いたら… 
 真っ先にキャリーに、報告しよう。 
 母の胎内にも似た、温かい抱擁感。 
 しかし強い意志を持たないと、二度と目覚めることは出来なくなる… 
 粘液に、溶けてゆく意識と身体… 
 @が、仮死状態に陥る… 

 その時。 
 轟音。 

 遠くで、微かに聞こえた轟音…いや、爆音。 
 薄らいだ意識が、わずかに呼び覚まされる。 
 (今の音は…いったい…) 
 確認しようにも、全身に力が入らず、再び意識は遠のいてゆく… 

 ズドォン!! 

 再び爆音、そして振動。今度は近い。大きく横に揺れる室内。 
 (…っ!) 
 @の入ったバケツが、振動によりひっくり返る。 
 どぷん。大量の粘液とともに、吐き出されるボナコンの小さな身体。 

 「ゲホッ、ゲホッ!…ぅっ…くぁっ…」 

 そして異変に気付く。夜だというのに、窓の外はやけに明るい。 
 異常に高い室温。入り口のほうからもうもうと入りこむ黒煙。 
 (何が起こったんだろう…火事だ…早く…脱出しないと…) 
 (まさか、こんな日に火事なんて…僕は、どうなってしまうんだろう…) 
 辺りを見渡すが、母の姿はない。先に避難したのだろうか。 

 ボナコンとはもともと身体の小さいモンスターであるが、 
 粘液を吐き尽くして、通常の大きさよりさらに一回りも小さく、弱々しくなった@。 
 その小さな命が必死に、家の入口まで這ってゆく。ドアを身体全体で押し開ける。 

 そこで@は、信じられない光景を目にした。 
 視界が、緋色に染まる。 

 燃えてゆく。村全体が、大きな火種となって。 
 その目をしっかり開き、なんとか状況を理解しようと努める@。 
 しかし意識は朦朧として、とても冷静ではいられない。 

 「母さん…キャリー…みんなっ…ドコに…」 

 必死で叫ぼうとするも、掠れたささやきが口から漏れるのみ。 
 黒煙と熱風。呼吸もままならない。 
 とりあえず、@は村の中央の井戸まで這いずってゆく。 
 そこには、見覚えのあるアダマンキャリーが、横たわっていた。 

 「…ランド」 
 「よう、落ちこぼれ」 

 今にも消えそうな声で、ランドは悪態をつく。 
 彼の身体には、見た目にも深い、切り傷…のようなものが、いくつも見受けられた。 

 「だ、誰にっ…!?いったい、どうなってるんだよ…?」 

 @の身体も衰弱している。満足に声も出ない。喉を振り絞り、ランドに問い掛ける@。 
 しかし、その声も、彼には届いていないようだ。 

 「ケッ…なんだそのザマはよぉ、@…ますます小っちゃくなってんじゃねぇか。 
  まぁ、俺も他人のこと言えた義理じゃあねぇがな…ハッ、ハハハ」 

 虚ろな目で、自嘲するランド。 
 その姿を、かつての彼と重ね、@の目に、涙が溢れてきた。 

 「ど…どうなってるんだよ…っ。わけがわからないよう…」 
 「ハハ…ハ、泣いてんじゃねぇよ…この弱虫が…ッ」 

 @の声がかすかに聞こえたのか、ランドは重たそうに首を、視線を、@に向ける。 
 その目にわずかだが、光が宿る。しかしそれは、悔恨と無念に燃える炎。 

 「でもっ」 
 「黙れ!泣きたいのは…俺のほうだ… 
  俺は…アイツをっ…! 
  キャリーをっ!…守れなかった…!! 
  必死に戦って…このザマだ… 
  あぁ… 
  強く…なりてぇ…っ 
  もっと……強…………く」 

 彼の最後の炎が、一際輝き、ふっと消えた。 

 「キャリーが…死んだ…?」 

 近くで、ごうん、と大きな家屋の棟が焼け崩れた。 

 呆然と、立ち尽くす@。 
 全ての希望を奪われた気がした。 
 突然、目の前が真っ暗になった。 
 まるで視力を失ったように。 

 @は、走った。 
 死んでも構わない。@は思った。 
 やがて村を抜け、山を転がるように下り、ふもとの平原まで駆け下りたところで、@は倒れこんだ。 

 東の空が、明るみ始めていた。 


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